This is the Japanese version of this column.
おれは横浜で生まれて育って、中学も高校も横浜の学校に行った。厳しいカソリックだった。
晴れた日にはよく屋上に上がって友達と昼飯を食った。横浜港が見えた。産業港だが黒板よりは綺麗に思った。風が強く、”このまま飛んでいきてえ”とよく思った。そのままアメリカとかに行きたかった。
13年以上経ち、確かに飛んだ。アメリカにも行った。でもまさかこういう行き方をするとは思っていなかった。飛んだというか、吹き飛ばされたという感じだ。
10代の頃というのは小さいことでも楽しめるものだ。おれにとってはラーメンを食ってレコード屋を周るのが楽しかった。
しかしこれは思い出ではない。物理的、技術的にもはや取り返すことの出来ない現実だ。この2つの間は僅かだが全然違う。
普段おれは何かを懐かしがったりすることはないけど、風が窓から吹いてきた時にふと思い出した。
横浜を出る時最後に見たものは、4ヶ月間咲きっぱなしのヒマワリ。コンクリートの上で実をつけてるトマト。満開のオシロイバナで遊ぶ幼稚園の子供たちだ。12月に。
おれの中学高校は、東大や一橋の先生方が子供を送り込む学校でもある。(おれの親父は高卒)
あそこでは夏、福島にキャンプに行くのが恒例だった。おれも何回か行った。
しかし2011年以降取りやめた。保護者からの要請でだ。何が起こっているのか、彼らは知ってるんだろう。
Iori Mochizuki