This is the Japanese version of this column.
実際おれと会った人ならわかると思うけど、おれは結構寡黙で長考するタイプだ。というか自分の中でなんかが閃くのを待ってる。ずっと議論してるようなタイプではない。でも結論には100%自信を持っているし、仮説の場合は強力な反駁を待っている。そのせいでよく頑固といわれるが、おれの場合意見じゃないんだ。結論なんだ。
その結論として、結局人を説得してなんかをさせることは無理だと思うに至った。特に311以降そう確信した。
放射能に関しても、多分今誰でも論破することは可能だろう。でも遅かれ早かれその人も結局元のポイントに戻ってきてしまうことが多い。
だから、我々の知っていることを全て説明し、それでも反対するなら”そうですか”というしかない。
もしあまり余裕がないなら、我々に出来ることは立ち去るのみだ。利害関係にならないようにするしかない。その人に何が起こっても、あまり影響を被らないで済むように。
おれは民主主義にも悲観的だ。少なくとも日本では民主主義が機能しているところを見たことがない。海外では日本人は原発推進派の自民党を選んだんだからそれが民意なんだという声もある。しかし自民党は先の選挙期間中福島で脱原発をうたっていた。戦争は平和、自由は隷属、無知は強さ、という感じだ。
選挙結果などマスゴミと小選挙区制とムサシの三種の神器でいくらでも変えられてしまう。
要するに、立ち去る、しかないのだと思う。
これが今のところのおれの結論だ。だから全ての国から独立しようとしている。実際、地球上全てどこかの国に塗りつぶされてなきゃいけない理由はないし、国境と国境の間に隙間があってはいけないという理由もない。
原子力の問題だけ解決することは出来ない。メディア、腐敗した民主主義、無知、偏った教育、それらのより巨大な腐乱死体に深く根付いてしまっている。原発問題だけ解決しようとするのはゾンビの歯だけ治療しようとするようなものだろうと思う。歯だけじゃない。全身腐ってるんだ。
Fukushima Diaryの記事を書き続けて大体2年になる。いくつかの記事は”警報”や”仮説”だったりするが、それ以外は全てキチッとしたソースがある。おれはそれらの記事に対して120%の確証がある。
それに対して信じる信じないを決めるのは読者の君だ。おれじゃない。それは自分で決めることだ。理由がなんであれ、もし信じないなら信じなければいい。
2011年の3/14から3/16まで都内でガイガーの画面をユーストでライブ配信している人たちがいた。おれは線量が上昇していくのを目の当たりにしたが、”日光のせいだろ”という人がいた。おれはそれを信じた。信じたかったからだ。避難の準備なんて何も出来ていなかった。仕事も、アパートも、ペットもいた。信じたかったのは、リアルタイムで被曝してるなんて考えたくなかったからだ。その理由は結局、”恐かった”からだ。
Iori Mochizuki