This is the Japanese version of “[Notice] The principle of Svalbard project [URL]”
2011年4月25日、3号機が核爆発だった可能性をインターネットで偶然知った。黒い煙の意味をその時初めて理解した。おれはソファーにへたり込んだ。被曝してしまったという絶望感だけではない。政府に騙されたという悔しさからだった。政府なんて今まで信頼したことはなかったけど、それでもいざというときには常識くらい守るだろうと思っていた。甘かった。怒りとも悲しみともつかないどす黒い煙のような感情の塊だった。
一体何に抗議したらいいのか。一体何が根源なのか。分からなかった。反撃のしようがなかった。
しかしそれで、奴らの目的は何が何でも我々家畜をフェンスの中に押しとどめ、死ぬまで税金を絞りとることだということが分かった。信じがたかったが、あらゆる報道規制や補償金の配分の仕方という事実がそれを証明していた。反証できる材料はゼロだった。
もうこの国から出るしかないと思った。そしておれはスバルバルドを見に行って色々調べてこようと思う。もしおれと同じ考えの人がいたら、多分色々条件が揃う土地なのではないかと思ったからだ。
国の方針というのはころころ変わる。昨日左だと思ったら今日は右だ。世の中は食べて応援、燃やして応援、自分だけ助かりたいなんて自分勝手。色々邪魔してくる。でも、どう考えてもおかしいんだ。もう少なくとも東日本は汚染されたんだ。金で解決する問題とも思わないが、病気になったところで補償なんて絶対にされないだろう。マスコミもおかしい。インタビューで東電や原発という発言だけ削除された人もたくさんいる。原発作業員は12000人必要なのに3000人くらいしか集まらない。まだ2年目なのにだ。一体どうやってこの先廃炉していくのか。
対東アジア政策もバランスに欠いている。パラノイドで、やたら暴力的になった老人のようだ。余震かどうかも分からない地震も頻発して、河口湖では水位が低下している。
311で学んだ。何があっても日本政府は我々のことなど守らないだろう。まして子供達のことなど全く守るつもりはないだろう。
論理的に考えて、もはや何にも頼ることは出来ない。信じたくなくても、それは起こる。1+1=2なんだ。政府が3だと言おうが、町内会のおばちゃんが4だと言おうが、1+1=2だ。
日本というのは、海から突き出した土の塊のことではない。我々の中にある文化だ。我々の価値観、美意識、食文化、言語、そういうものの集合体が日本だ。我々が日本の中にいるのではない。日本が我々の中に在るんだ。
おれには、愛国心はない。愛国民心がある。誰にも死んでほしくない。もう2年被曝してしまった人は、遅いかもしれない。でもどこかに行くことで1秒でも長く生きられればそれでいいんじゃないかと思っている。人生の価値は無限大だ。無限大は何万分の一にしてもそれぞれ無限大だ。最後のボーナスの一秒だってきっと無限の価値がある。朝、あと一秒長く寝てたいと思ったことのある人は多いはずだ。
別にどこの国の領土を奪うつもりもないし、何も違法なことをするつもりもない。だからスバルバルドに迷惑をかけたりするつもりも全然ない。ただ、もう政府なんかに頼らず、自分達の人生に自分達で責任を持ちたいと思う。
日本人はユニークだ。技術にマニアックで、新しいものに目がなく、真面目で几帳面。ミニマリズムな美的感覚もあるようだ。こういう価値を世界に展開していけたらいいんじゃないかと思ってる。
もう自分たちを化け物に統治させるのはやめよう。僕たちは自律して生きていける。そう思う。
Iori Mochizuki